ボリビアから帰国されたシスター斎藤をお訪ねして

 6月中旬、あちこちに紫陽花が色とりどりに咲くころ、喜多見の礼拝会にシスター斎藤をお訪ねすることができました。今年93歳になられるシスターが、お元気に背筋もまっすぐに修道院のお玄関に出迎えて下さった時、思わず「お元気でいらっしゃいますね」と感嘆と安堵の声をあげる私達でした。ご高齢ということで、ご帰国と伺ってかれこれ2年近く時が過ぎ、やっとお目にかかれ「お帰りなさいませ。ご苦労さまでございましたね。」とご挨拶を申し上げることが出来た瞬間でした。
 終戦後、ボリビア政府からの入植の要請にこたえて、長崎地域から多数の入植者がボリビアに移住されました。1979年シスターはその入植者からの求めに応じて56歳でボリビアに宣教に出向かれました。当時を懐かしむように、メルセス会のシスターから修道院の建物も土地もそっくりそのまま譲り受け、すぐに宣教活動を始めることが出来ました、とお世話になったメルセス会のシスターの寛大な引き継ぎを何度も繰り返し述べられ、感謝をこめて写真を見せて下さいました。
 宣教地は亜熱帯性気候で暑く、電気はなく、ガス灯で生活する時代で、原因不明の発熱に悩まされたり、蚊の毒で足が腫れあがったりするご苦労の中で段々と土着されて行かれたようです。
 当初、子供の日曜学校、青年会、婦人会、家長会、家庭訪問に忙しく過ごされたようでしたが、1軒ごとの入植所有地所が50町歩という広さで、入植者の生活が比較的安定したものだったと説明されました。シスターが入植者のお手伝いをされながら宣教者の使命を発揮されたのは、ボリビアの貧困を目のあたりにされたからです。未婚の母達(売春婦もいた)子供を抱えて行き場のない人達の母子寮を建てて彼らを引き取り、職業訓練、厚生施設で自立出来るように授産し、パン工場を設置しました。基本的な読み書き、家事、衛生教育、整理整頓、人間として女性としての生き方を教え、15,16歳で母親になり、学校教育を受けてない女性達にラジオを聴かせ、夜間学校に通わせました。

 母子寮の母親達が働きに出かけている間保育園で子供達を預かり、4,5,6,歳児には幼稚園教育を受けさせました。売春婦が仕事を見つけるまでの寮を建てて更生を助けると同時に母子家庭の子供たちの学費、教材費、交通費等も準備し、人間として生きていく手立てを整えたのです。
 又、当時町に薬局が無く、修道院に薬局を開いて、貧しい人々に20年間も薬を安く分けて助け続けられました。
 修道院長を82歳のご高齢まで果たされ、保育園の園長はさらに数年続けて責任を取られた後、帰国まで修道会の施設で引退後の生活をされました。
 JOMASにご支援頂いた皆様のご芳志を26年間にわたってお届けできたことで、このようなシスターの活動の実現に協力することができました。シスターのお働きが大きな結実をもたらしたことを心から皆様に感謝申しあげる次第でございます。
 お一人の偉大な宣教師のお働きを通して今なお心身ともに貧困に喘ぐ国が少しでも明るい希望に満たされてゆきます様に祈りつつご報告を閉じたいと思います。
 シスター斎藤、長い間のお働き誠に誠に有難うございました!!!

Sr. 兄部 記

ボリビア入植時の修道院の写真等

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