手術の必要があって帰国された倉橋神父様をお訪ねしインタビューをさせて頂きました。ボリビアへの援助がどのように始まったのかをお話して下さいました。
サレジオ会の司祭がボリビアに赴任し、県境を越えて山岳地帯に国内移住してきた若い結核患者の青年を自分の部屋に泊めて介抱し、治療の手伝いを始めたことがきっかけとなり、プラン地区に小学校、中学校、高等学校そして授産場が実現しました。
患者達が段々快方に向かうにつれ、学校教育を受け、卒業して社会に出て家庭を持った人達が授産場で袋等の製品を作り生計に役立たせるようになったわけです。曽野綾子氏がボリビアに来られてこの実現のためにJOMASからの援助をして下さいました。
年毎に卒業生が集い、一緒に学べた学生達と賑やかに集う楽しさを味わっています。
また、貧しい人達が小さな窓一つない暗い家に住んでいて、生計に困った母親が売春でお金を稼ぎに出かけ、子供だけが暗い家に取り残されて泣きじゃくっている様子を見て、そうした子供達を集めて託児することが始まりました。集めたけれど食べさせなければなりません。そこでまたJOMASにお願いしてこの託児所の給食費をいただき命を救っています。
その他、日本では考えられないことですが、麻薬取引に関わった刑で受刑中の母親と一緒に子供達が刑務所で過ごしています。ボリビアの姿です。
神父様が度々口にされたのは、ここ2,3カ月日本に住みながらボリビアの話をしても日本の人との接点がないと痛切に感じていると話されるのです。少し歩けば何処にでもポストがあり、郵便を出せば1日2日で必ず配達される。 ボリビアでは郵便局まで遠い道程を歩いて、又は車で100キロ近くの道を行かなければ出すことも受け取ることもできないのです。電車は2日に一回国境まではしるだけ。38年間に3度だけ電車に乗って国境まで用足しをした。社会状態も仕組みも余りにも違っているので、ボリビアを理解して貰う事の難しさを感じています。
神父様の心の中で疼いている人の痛みに真実の共感を得られない現在の日本の人々が、貧困と不正義の蔓延する社会で現地に行って体験してみなければわからない痛みを示された気がいたしました。
どうか健康を取り戻された恵みを大切にされながら、神父様を慕うボリビアの多くの人達のために尽力されますよう心から祈りながらお別れ致しました。
シスター兄部
倉橋神父様ご提供資料
母親と一緒に刑務所で暮らす子供たち。
刑務所から学校へ通う子供
卒業生との集いで、ホームカミングの学生と再会の喜びを分かち会っているところ